桜を見に行けたこと

桜を見に行けたこと

今年は今週末に桜が満開になった。

土曜日、日曜日と昼間お花見に行けそうもなく、今年は無理かなと思っていた。

まあ、出掛けた時にゆっくり歩いて見るとか、電車から見るというのでもいいかなと考えた。

夕飯を食べに出掛けた帰り、自然公園の奥の方で、たくさんの提灯の灯りが淡いオレンジ色に光っていた。

公園内の桜並木で、多くの露店が出ていて、その匂いが漂ってくる。

夏祭りと何かが違うと思ったのは、夏祭りは盆踊りの音楽と、

それに合わせた太鼓の音が響いているけれど、桜のお祭りは音がない。

その公園は、場所、広さのせいもあって、大勢の宴会は少ない。

通りから直接入れる駐車場があるので、少しだけ寄って行くことにした。

灯りと、その光に浮かぶ桜に誘われ、二車線の両方から、駐車場に続々と車が入っていく。

暗くて足元の見えない駐車場の砂利道を進み、競技場の横の石の階段を上がると、

そこから暖かな色の提灯に照らされた桜が夜空に無数の花を広げていた。

幻想的で、淡い夜の桜を見上げながら、露店の続く道を歩いた。

その夜は少し肌寒くて、まだ、春がきた、という時の夜でも暖かい夜桜見物とは違った。

もうずっと前にも、この公園の夜桜を見に来たことがあったのを思い出した。

今とは別の場所に住んでいて、徒歩で公園まで来た。

友達が待っていて、露店の奥にある御座敷で、

簡単に食事をして、何かを飲んで、楽しい時間を過ごした。

夏から冬にかけて、昨年は時々この公園に来て、同じ場所を歩いた。

夏には草が鬱蒼と茂り、蝉の鳴き声がし、奥の球場からは大きなざわめきが聞こえ、

秋にはフリーマーケットが行われ、道には土が見えないほど、多くの枯れ葉が落ちていた。

同じ場所のまるで違う一夜の風景を見られてよかったと思った。

桜が咲く期間は短い。

その中の満開になった週末の夜、こうして桜を見られた偶然の幸運に、感謝したいと思う。

覚えておきたいので写メで撮ったけれど、あまり上手に撮れなかった。

撮っておきたいくらいきれいだった、という気持ちの記録にはなってくれると思う。

ホンダ ステップワゴン スパーダ

挨拶は基本です・2

子どものころに、母から挨拶の重要性をとくと教え込まれた私ですが、気が付くと、自分の子どもにも同じことを言っています。

「挨拶だけはちゃんとしなさい!」

きちんと挨拶ができるかできないか、それだけで、その人の人間性を評価されることだってあるのです。

これまでいくつかの引っ越しを経験してきましたが、新しい住居に移るたび、近隣にちょっとした品物を持って挨拶に伺いました。

もちろん、「これからお世話になります」の気持ちをこめての挨拶回りなのですが、これは逆に言えば「近所にどんな人が住んでいるか」のリサーチでもあります。

これから近くに住むのですから、たいていの人は

「わざわざありがとうございます。こちらこそよろしくお願いします」

と丁寧に挨拶を返してくれます。常識から考えて、それがごく普通の大人の対応というものでしょう。近所さんがそういう方であれば、こちらもひとまず安心します。

ところが、これまでに一軒だけ、ちょっと信じがたい家がありました。

インターフォンを鳴らすと、その家のご主人がまさに嫌々といった感じで玄関まで出てきて、

「そういうの、結構ですから」

こちらが差し出した挨拶の品を付き返してきたのです。

これには唖然としましたが、見るからに暗くて陰気なご主人で、その後道ですれ違ってももちろん挨拶もなく、近所からは「ワケあり」「鬱病かも」と言われて遠巻きにされているような感じでした。

小さい子どもがいる家庭でしたが、奥さんも子どももご主人のせいでなんとなくご近所の輪の中に入れてもらえない雰囲気で、せめて普通に挨拶くらいすればいいのに、と思ったものです。

息子が通っていた幼稚園には、とても厳しい先生がいて、朝の登園時に

「おはようございます」

の挨拶がちゃんとできないと部屋に入れてもらえませんでした。

挨拶というのは強制されてするようなものではありませんが、それくらい大事な習慣であり、極端な話、他人の気分を一日左右するものでもあるのです。

犬の散歩の途中などに自然な笑顔で「こんにちは」と声を掛けて下さる方がいると、さほどの美人ではなかったとしても、素敵な奥様だわ、と思ってしまいますし、逆もまた然り、と感じる今日このごろです。